昭和59年バルブの兆候がこの掛川でも現れてきました。我が社もご他聞に漏れず土地分譲に付随する上下水道工事の仕事が多くなってきました。布設工事の時に出る残土の処分に大変てこずる様になってきました。農家の休耕している田んぼを探しては捨てさせてもらっていました。農家さんも回りの農家が土地を売り家を新築し始めたので我が家もと新築や新車の購入、子供の学費にとお金がいることが多くなってきました。戸田さん田畑を買ってくれないかの打診が多くなってきました。1回買って見ると水道工事で御世話になっている住宅会社纏め買いをしてくれました。こんなおいしい仕事は無いと思い、不動産事業に参入しました。こんなに儲かるのかと思い、営業マンを増やし宅地造成や土地の転がしに手を広げていきました。ご多分にもれず株投機は遣るは、夜の街を遅くまで飲み歩いたり、土地成金の真似事を遣りたい放題していました。まさしく「田舎のプレスリー」でした。ある時ふと感じることが有りました。何で私みたいな人間がこんなに仕事がうまく行くのだと、度胸よく土地を買い造成をすれば必ず儲かる、何か変だと思う様になってきました。県の中小企業大学で学んだ経営学や経営理念など関係ないでわ、と思いました。でも何か変です。そこで経営の判断基準である経営理念を何度も何度も読み返してみると商売の基本は「適正な利潤と最高の技術で多くの人を満足させてあげる事で」今の仕事は利ザヤを稼ぐことではないかと思いました。私は思いついたら行動は早いのがとりえです。土地の売買から撤退することに即決めました。その時営業マンは確か3,4人はいたと思います。口々に「社長こんなに儲かる仕事をなぜ辞めるのと言われました」こんな些細な仕事で会社が利益が出るのは絶対おかしいと私は言いました。不動産事業の中でも世の為人の為になる業種はあるではと思いました。その時に感じた事が建築工事はするが、入居者の管理はしない、建物が古くなれば空室は出るが紹介はしない。アパート経営なども教えてあげない。今はバブルで空室が少ないがこんな時代は長くは続かないと思いました。そこで賃貸業の専門店に切り替える決意をしました。そうすれば大家さんも喜び、お部屋を探している人にも喜ばれる。そして私達の管工事やリフォーム事業にも相乗効果があるではないかと思い独断で決めました。残りたい人は残り退職したい人はお客持ちで良いので退職してください。独立する人は業界に入会する保証人もしてあげますよ。その歴史が今の「アパマントダックス」です。今考えるとあの決断が少し遅ければ、バブルがはじけたと同時に倒産していたと思います。事業をする時の判断基準は「動機は善か、私心は無いか」どうも最初に不動産を立ち上げる時は「動機は楽に金儲け出来る、そして幼い頃からの夢である、豪邸に住めて、夜のタニマチで遊べることでした」反省、反省