私も早いもので、今年で59歳になります。若くて事も解らず小生意気な頃、よく先輩達が説教をしてくれた後に、口癖の様に言われた言葉は「歳をとれば解る時が来る」の一言でした。最近59歳になって、先輩の言っていた「歳をとれば解る」の意味が、やっと少し解ってきたような気がします。感じる事の1つに「出会いの大切さです」。それこそ私に苦言や説教をしてくれた多くの先輩達に出会った事が、私の人生を素晴らしいものにして頂いたと思っています。この言葉「出会い」は卒業式の時や、就職した時など、人生の転機に、友人や先生や親に言われた言葉です。最近特にこの言葉の意味を強く感じはじめています。私の仕事のなかの1つに、採用面接が有ります。会社経営は社員の資質で、大きく経営内容の違いが出てきます。我が社がここまで頑張ってこれたのも、若くて優秀な社員が、素直で真面目に一生懸命、仕事に取り組んで来てくれた御蔭です。その意味でも、社員の採用は大事です。特に若い社員の多い我が社では、経験をつんだ先輩の苦言や説教が、会社の活性化に繋がります。だから各チームに一人ぐら配属したいのです。勿論社員だけではなく、私の経営スタイルにも助言をしていただく事が必要なのです。その事を含めて経験豊富な高齢者の採用活動にも力を入れています。そんな面接時に思う事は、この人もう少し若い頃に転職を考え、我が社に面接に来て、私と出会っていれば、今頃我が社で自分の好きな仕事を一緒に出来ていたのに、今から我が社に入社しても、この人も駄目に成ってしまうし、我が社もお荷物になってしまう、そんな人や、ここまでツキのない人を採用すると、我が社のツキもなくなってしまうと感じて、お断りする人などいろんな出会いがあります。数多く面接していくと、我が社に合った人と出会えます。そんな時は即採用します。これこそ良縁です。また人生の出会いを変えるのは、就職だけではなく、日頃の生活の一瞬一瞬に大事な出会いがあるのです。その出会いをものにするか、流してしまうかの違いでが後に大きな人生の結果となるのです。私も今人生を振り返って見ると、すべての出会いにドラマがあった様な気がします。戸田家に生まれていなかったら今頃どうなっていたか、あの同級生がいなかったらどうなっていたか、妻と知り合っていなかったら、今頃どの様になっていたかと考えると、考えれば考えるほど身震いして来ます。過去を振り返っても今までの人生は変わりませんが、多くの反省があります。その事が経験だと思います。出会いが悪縁の時は、出会いの相手も自分と同レベルの生き方と考え方だった様に思います。私の経験から良縁の出会いをする判断基準は、経験と意識(良い出会いをしようと思う心)だと私は思います。経験は浅く広いお付き合いをする事だと思います。もう1つの意識ですがこれは、常に心を開いて、自分の人生観を明確にし、大きな夢を持ち、その夢の思いを語り合える多くの友人を持とうと思っていることではないでしょうか、本田や松下、ソニーの様な世界的企業を担った人の生い立ちや創業期を見ると、その時々に必要と思われる人と出会いをして、その出会いをだいじに育て上げて、自分の人生観と夢に共有させて、成功なさっています。と言う事は解りやすく解説すると、●どんな人と友人になるか、●そしてどんな人を慕うか、●そしてどんな人に慕われるか、ではないかと思います。昔から類は友を呼ぶと言います。人生大成功をするとまではいかなくとも、これからの人生でまだまだ多くの出会いをすると思います。この出会いを大事に育てて、よき仲間と素晴らしい人生を暮らしていきたいものです。