私の人生は、波乱万丈ですべてを公表すると何かと誤解を招く様なので個人の履歴や社歴を大分渇愛しきました。還暦も過ぎ事業を継承しなくてはいけない時期を迎え、いろんな機会に面倒だがすべての事をお話しをして行く事にしました。今回、創業前1年半位の空白を機関の事を御話しすることにしました。充実した丁稚奉公も約2年経過した頃、このまま田町梅月で勤務していては、18歳独立までに菓子製造技術など取得できないと思い始めて、就職口を探し始めました。いろんなことを考慮して、最終的に兄が住んでいる三島市のお菓子屋さんを探すことにしました。腹違いの兄は家族愛に縁遠く、多くの親戚をたらい回しにされ育ち、中学卒業時の養父母には大変迷惑を掛けたようでした。私も兄と一つ屋根に暮らしていた時期があった様ですが、年の差がある兄との思い出は何一つ記憶に残っていません。その様な男親が一緒の兄と近くで暮らすのも良い機会だと思って三島を選んだのでした。そして三島大社前の兎月園と言うお菓子屋に飛び込みで面接を受け入社しました。お菓子の製造を覚えるだけの勤務できっと、お店にとって私の働きぶりにはいい印象はなかったでしょう。仕事を覚えるだけのおとなしくまじめに働く一年が経過した頃に、小学校の頃患った腎臓病が再発をして入院することになり、其れがきっかけで掛川病院に移りお店を退職しました。実家に戻るとあまり居心地も良くなく、ヤンチャをしながら知人や友人の家を順繰りに泊まり歩く時期を暫く過ごしました。そんな時同級生の親が経営しているお菓子屋に来ないかと誘われ、勤める事にしました。そして18歳を迎えて「製菓衛生士」の免許と保健所の許可を取り菓子製造卸業を独立しました。思い起せばあの時期、多くの人達に迷惑を掛けたり、協力していただいたりで感謝に堪えません。其の感謝の気持ちを今後の人生で恩返しをして行きたいと強く思い頑張っています。