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戸田語録



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私の人生観D:丁稚奉公時代

寮生活は、20畳ぐらいの畳の上に2段ベットが6つ位置いてありその一番日当たりの悪い入り口付近が僕の住処でした。寝起きするだけの寮でした。10人位の団体生活ですお金は無くなるは、酔っ払って遅く帰ってくる人や説教好きな先輩や朝早くから仏壇に手を合わせお経を読んでる新興宗教者など色々でした。お菓子屋に丁稚に来る人は、お菓子屋の息子か貧乏人の子せがれです。早く仕事を覚えてこの環境から抜け出さなくてはと思いました。でも少し経つとその人達と馴染んできました。その先輩たちのほとんどが独立して立派なお菓子屋さんを経営しています。就職後すぐに任せられた仕事は桜の葉を取りに行く事でした。桜餅や水羊羹、草餅などの飾り葉に使うのです。朝5時頃から起きて桜の木を目指し取りに行くのです。毛虫には刺されるは犬には吠えられるわ、お寺の住職には怒られるは大変でした。でもこれに似たことは小さな頃から得意なことで楽しく桜取りをしました。2つの餡子袋いっぱい取るのがノルマでした。取って帰ると朝食が待っています。丁稚は一人ずつ交代で立って食べます。ご飯一杯と中身の無いお味噌汁とよい時であぶらげ入りのひじきでした。普段は卵を黄味餡に使った残りの白身を掛けた卵ご飯でした。毎月一回の休みは食事なしです。カステラの耳を貰い召しの代わりにしました。お風呂は銭湯で月の給料袋に15枚入っていました。10日分の券を銭湯の前で安く売り払って独立資金にしました。残り5日分はお菓子の配合を聞く為に職人の肩流しに銭湯に行きました。あとは工場でお湯を沸かし体を洗いました。日常の仕事はお菓子を作る時の道具や機械を洗う事と卵を割ったり粉をふるったり、鉄板に油を引いたりする仕事でした。配達ある時はそれが一番優先します。工場の作業が終わると僕は自分で志願して、時々夜の店番と配達をしました。この経験で営業の技術や人との繋がりの大切さやいろんな職業があることなどを知りました。私はいつも一番苦労人だと思っていたがもっともっと苦労している人がいることを知り、自分は幸せのほうだと思うようになりました。寮に帰っても何もすることは無くお金も無いから自分勉強に進んで手伝いましたが、この時に学んだことが僕の人生のベースになっている事に感謝しています。楽しく過ごしている内に1年も経ちお菓子を作ることではなく営業の方向に会社も僕も行ってた事に築きました。このまま行くと同級生が卒業するまでにお菓子屋が独立できないと思い、会社を退職する事にしました。1年間見ただけの知識で思い切って三島市のお菓子屋に年をごまかし就職しました。作り方も少し覚えて独立準備のため地元お菓子屋に帰ってきました。そして満18歳に3坪の工場を建てオートバイに菓子箱10段ぐらい積んで、製造卸業を始めました。

平成17年12月25日
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