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戸田語録



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人の出会いは転機の始まり:白木ハナエさんとの出会いA

土地を購入し、建物の設計に入り、工事契約も終結して本格的に工事に入りました。土地を探している間には、世間話や生い立ちなど話をしながらの営業活動をしていました。時間が経つ間に身寄りのない、白木さんが仕事以外の相談を持ちかけられるようになりました。東京の土地の税金問題や相続の話などの内容で、責任がだんだんと重く成ってきました。仕事以外の相談でおかしな事になると土地建物が駄目になってしまうので、いい加減な回答は出来なくなりました。その頃には建築工事も始まり、お金も経費もかけてしまったので、後戻りは出来ませんでした。最初に相談されたのは1億円の寄付を何処にするかでした。私なりに考えて通常寄付をするとしたら、静岡県か、掛川市か、度々寄付願いに来ているところにするか、私の一存で決まる雰囲気でしたので悩みました。私は静岡県は白木さんにとって、プラス面は少ないと思いやめました。掛川市にどうですかと相談すると、山崎さんが新幹線の寄付に回ってしまうのでと、いい返事では有りませんでした。学校法人や社会福祉法人の学園は経営の大変な所が沢山あるということで色々候補を探しました。候補が絞れませんでした。それでは骨を埋めるつもりで掛川に来たのだから、知人のお寺にと進めて見たけど、その時は山崎さんが余り乗り気でなかったようでした。私がその時感じた事は、きっと白木さんは財産相続はお寺と決めていたでしょう。色々迷った結果、私は山崎さんにやがて新居が出来れば籍を入れて貴方も掛川の人に成られる事でしょう。それなら条件付で掛川に寄付したらどうですかと問いただしました。山崎さんの強い希望と私の助言で、子供の健全育成に使ってもらおうと覚書を交わしました。なぜ私がその様に覚書を交わさせたかと言うと、私はある時、議員のKさんより、白木さんと大変親しいようだが、白木さんに新幹線が駄目なら、お城の寄付をお願いしてくれないかと言われていました。その寄付が、掛川市や掛川市民にたとえ良い事であっても、私の助言で歴史上での一人にはなりたくありませんので、ハッキリ私には出来ませんと断った経緯があったからです。寄付渡しは質素なものでした。教育委員会宛の寄付になりました。その時の立会い者は私・白木さん本人・山崎さん・市側から伊藤教育長・草賀文雄さんでした。今でも覚書のコピーは私の所に有ります。その寄付金の使い道は、私の知る所では、健全育成には使われないようでした。その結果も後の歴史が物語つて居ると思います。そうのこうの、している内に、私の妻や家族までが電話で呼ばれるようになり始めました。お菓子を貰ったので半分あげるので取りに来てとか、何か理由をつけては毎日のように、家族ぐるみで呼び出しがかかるようになりました。土地建物のお客様から、白木さんのお出入りさんになってしまいました。世間の人は財産目当てにと、思った人もいたでしょう。そんな時、左官屋と白木さんがもめました。お金で人生を生きてきた人ですから、我がままです。私もその頃には、相談相手とは言うものの、時には下男のようでした。左官屋を出入り禁止にしなさいと命令が下りました。私を取るか左官屋を取るか決断を迫りました。時期的に縁を切るチャンスと思い、もめない様に頭を下げて自ら分かれるチャンスを見つけるようにしました。その事件と度重なるように寄付のお礼に掛川市長榛村さんが挨拶にこられて、榛村さんの白木家、も詣でが始まり、私から榛村さんに目先が変わったようです。その直後工事も完成を向かえ、私の役目は終わりました。紙面に書けない内容は私の心深くしまい、白木さんにはある意味で、良い勉強をさせてもらいました。

平成18年10月16日
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