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戸田語録



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トダックス旗ゲートボール大会:24年間継続した大会を解散するに思う。

思えば、私が39歳の時でした。会社の名前も地域ではそこそこ売れ始めたころ、私の生まれ育った故郷のゲートボール会長が、トダックスで大会の後援をしていただけないかと依頼がありました。子供の頃、ナンカ小僧で地域の人達に迷惑ばかり掛けた私は、恩返し出来る良い機会と思い喜んでお受けしました。高度成長期、世の中の景気は良かったが、我が社の経営内容は外見とは大違いで、いつ潰れてもおかしくない様な財務内容でした。大会の回数が増す度に、お爺ちゃんやお婆さんの元気な顔を見るのが楽しみになって行きました。開会式の講演会長の挨拶では、毎回我が社の売り上げや利益を報告し、お爺ちゃんやお婆ちゃんの励ましに、私は会社を絶対に潰してはいけないと強く思い24年間頑張って来ました。そして会社をもっともっと成長させて、景品や賞品を良くしてやろうと大会の度に思うようになりました。大会を始めてしばらくの間は、会員数も増え一時は200人を越すほどの大きな大会になりましたが、有る時期を境に人数が少しずつ減り始めました。そして今年の参加者は29名の参加でした。大会打ち合わせの時に会長が高齢化が進み、参加人数が少なくなると大会の運営が難しくなるから、最後の大会したいとのご相談が有り私も残念ではあるが、時代の変わり目かと思い賛成させて頂きました。振り返れば、毎回大会後日、昼の11時から行う懇親会で、懇談しながら飲むお酒は本当に美味しかったです。又20周年の時には日帰りバス旅行を企画し、妻と一緒に参加して楽しい一日を過ごしたのも今思えば良い思い出でした。高齢化社会を迎えた時代に会員数が減少したのは本当に残念ですが、これも時代の移り変わりで原因は競技内容ではと感じました。競技の勝敗は技術力は勿論の事チームワークが大前提です。戦後御苦労されて一家を築きあげた長老に、仲間に気配りをしたり失敗して注意されるのが、競技から離れて行った原因と解釈し仲間意識が乏しくなった世の中を残念に思う今日このごろです。

コメントはこちらコメント0件(コメントをお待ちしています) 平成24年3月21日
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良き師との出会いに心がける 。 : エリアを越えるとステージも変わる。

私は最近自ら、自称「田舎のプレスリー」と言っています。振り返れば私は貧困な家庭に生まれ、家庭環境も悪く捻くれ者だった様な気がします。高校にも行けず中学卒業しお菓子屋に丁稚奉公に出て、金持ちに成りたい目的のために誰にも負けない努力で18歳で独立し、22歳で水道屋に業務変更し40歳後半まで生きて来ました。どんなに頑張ってお金を稼いでも、思った様な金持ちになれず田舎のチンピラ親父でいる頃でした。友人から盛和塾を紹介されました。その時の動機は不純で、経営者として学びに参加していると言う保険の意味で入塾したのが、塾長例会に参加して観ると私の思っていた人生観の物差しに大きな違いがある事に築きました。「考え方」の違いが私の心を高ぶらせその後、人生の目的が良い方に良い方に変わり始め、今までの出会いの全てに感謝する様になりました。私は今シンガポールのマリナベイホテルの4912号室でこの文を書いております。最近盛和塾の友人から「戸田さん、2月の4日マリナベイホテルのサンズロビー9時45分に集合、観光用のVANを用意しといたから」とのメールでした。 仲間達はドバイやドイツ、アメリカ、中国の出張先からの参加です。今回のメンバーは、私達夫婦と商社を経営している彼とその友人、そして女性経営者3人で2日間同行するのです。この様な仲間が全国に大勢いて、年に何回も国内を始め世界各地集合のお呼びがかかります。私のステージで例えるとすれば「戸田さん、今駅前の居酒屋で飲んでいるので飲みに来ない」この程度なのです。ビジネスでも全く同じ思考が働いて市場は世界、情報はグローバルで量も中身も濃く彼らの土俵は世界で、私の土俵、つまり思考は人口12万の田舎町から脱皮できないだけなのです。神様は良く私の事が解っていて、この歳でこの様な素晴らしい土俵に招いて頂きました。次の世代には田舎会社から世界のプレスリーを目指す経営者に県下一番になって頂きたいと思いました。

コメントはこちらコメント0件(コメントをお待ちしています) 平成24年2月8日
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チャレンジ精神を持つ:理詰め経営者に大成功なし

最近少し時間に余裕が出き、人生を振り返る機会が多くなり若い頃見えなかった事柄が最近見えてくる様になりました。多分この現象を「年の功」と良く言われる訳でしょう。私は今までに多くの経営者と交友関係をして来ましたが、けして家柄や学歴のある知識人が成功をしたかと言うとそうばかりではありません。経営者仲間の中には無鉄砲と思われる経営戦略で、危ない道を渡り歩き成功を積み重ね、順調に会社を経営をして来た経営者もいらっしゃいます。私自身もきっと多くの友人達から見れば、危ない道をくぐり抜けて今日まで来たと思っている事でしょう。私の生い立ちや創業時はマイナスからのスタートで企業経営者というより、まともな生活を求めて必死に仕事に挑戦する「親父」で、菓子製造業を18歳で始め、22歳で菅工事業に事業転換を図り毎日毎日が新しい事への挑戦でありました。振り返って見れば無鉄砲で危ない道を歩いて来たことに身震いを感じます。当時の私は経営者として、必要な学びを得る為に多くの研修会や講演会に参加し感じた事は、高学歴で知識人と思われている人達の中には「理詰めで経営」をして、計画が慎重になり自らが行動する道を閉ざし、現状維持を求めて行く人が多くいました。経営の基本は投資とリターンですから、長期展望の中で財務会計を捉えながら、大きな投資や奇抜な戦略で計画することで大きなチャンスを得ることができると思います。良く中小企業は環境適応業だと言われている様に、世の中の景気が政変や災害により変動したり、想定外の事が起きた時に大きな結果が出ることが有ります。歴史を振り返って成功者の人達の経営戦略を分析してみると組織や肩書きに捉われない型破りを好む人が大きく結果を出していることは確かで有ります。私の周りの経営者の中には、家柄と学歴そして経営者としての理詰めは素晴らしいが行動が共は無い人が多く感じます。ぜひ若い経営者の人達には何事にも失敗を恐れずに挑戦して頂きたいと思います。

コメントはこちらコメント0件(コメントをお待ちしています) 平成23年11月2日
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